ヒトでもない。人形でもない。
僕は『キミ』の手によって作り出された『キミ』の鏡。
― 佐助と俺は鏡だ ―
じわり、じわりと浮かぶ熱。自分の中を不用意に侵してゆくそれ。手の中の筆を持ち上げ一応それらしい文字を書いてはみるが、頭の中には全くと言って良いほど入っていないのも事実だった。
「何してるの、ダンナ」
「・・・常日頃から思っていたのだが、俺に勉学は向いて居らぬ」
「そうかもね。俺もそう思うよ」
困ったように笑い隣に腰を下ろした佐助は、黒く鈍く光る苦無を取り出して、一つ一つ丁寧に磨いていく。
じぃ、と指先を見つめれば「俺の指見ても何も出てこないよ」と茶化された。
「冷たそうな手だ」 「冷たいよ。体温調節機能がついてるからね」
ぺたり、と頬に掌が当たる。不自然なまでに冷たい手。
ひんやりと火照った熱を冷やしていく。
あまりの気持ち良さに目を細め擦り寄れば佐助は「猫みたいだ」と笑った。
「お前を拾った時はこのように動くなど思っていなかった」
「俺だってまさかあんながらくた人形を拾う人が居ると思わなかったよ」
小さく零れた苦笑。ぼろぼろの人形もとい佐助を拾ってきたのは当の昔。動き出すまで五年、喋りだすまで一年と半分。幼くして既に母親に疎まれていた自分にとって佐助は絶好の玩具だったのだ。ただ、それすらも疎まれる行為だとは幼い己は知らなかったけれど。
「数え切れないくらい、俺の所為でお前は捨てられた」 「でも拾い戻すのは、決まって旦那だったね」
誰に聞いても目を背けられ、無視され。兎に角佐助を探そうと引っ切り無しに走った。たとえ母親に何を言われようと、自分は佐助を手放す気は無かった。その時からもう心の奥で気付いていたのかもしれない。
『― 佐助と俺は鏡 ― 』 (それは、唯一の理解者。唯一の友人。唯一の存在。)
「あの時から俺の世界にはお前しかいないのだな」 「それは俺もおんなじだよ、ダンナ」
一向に温かくならない手と熱過ぎて火傷をしてしまいそうな掌を重ねて決して均等にならない熱を交わし。柔く食まれた耳朶の感触にくつりくつりと笑めば耳元で低い声が聞こえた。
「俺はアンタで、アンタは俺だ」
「あぁ」
「俺にとってアンタ以上に大切なものなんて、無い」
「奇遇だな、俺もだ」
重ねた掌の指を絡めれば、耳を暖かい舌で舐められる。ぴちゃりぴちゃり、と耳の奥に直接響く水音が脳を揺さ振り世界がくらりくらりと廻る。
まるで気狂いな音楽を聴いているかのようで。は、と短く息を吐けば「感じた?」と聞く声。
それすらも全て自分の調子を崩すような音。
ただ不可思議な異国語のようにそれは耳の中を犯し、じわじわ、精神までも蝕んでいく。
「気持ちいいんでしょダンナ」
「さ、すけ・・・」
「ダンナの事は何でもわかるよ。俺はダンナの『鏡』だからね」
さらさらと髪を梳かれ、閉じた瞼の上に唇が降って来た。
そっと目を開ければ己と同じ、薄茶色の瞳が此方を見ていた。透き通ったガラス球に情欲に溺れそうな己が映る。
「ゆきむら、きれい」
「お前が一番に話した言葉、だな」
「本当にあんたがきれいだと思ったんだ。思わず口に出す程。勿論、今この時も」
ゆっくり唇が重なる。
手とは正反対に熱くて、蕩けそうな其処は緩く緩く熱を此方に移し、本当にごく自然に、口内に熱くて堪らない舌を差し込み。体中に赤い花弁を咲かせながら快楽を引き出すこの『鏡』はどろどろに解けた思考やら理性やら、蹂躙されていく身体ごと、全て持っていくのではないか、と危惧する程に、佐助と俺は一体になってゆく。鏡の向こうの存在と人格を交代させられると謂う噺を聞いた事がある。己の陥っている状況はきっとそれと酷似している。けれども、この冷たい手と熱い唇が生み出す快楽の前には抵抗しようとは思わない。思えない。
俺は佐助を『愛して』いるのだ。もう一人の、鏡の自分を、ほんとうに、心の底から。
「何考えてんの?ゆきむら」
「・・・お前の事だ」
たいした抵抗もなく入り込んでくる一部に狂ったような熱で犯されながらもはっきりとした意識の中、目の前に晒された首筋に噛り付いた。びくり、と一瞬身体が強張り、其処には美しい歯形がくっきりと残った。
「何?痛くないからいいけど」
「所有印だ。お前は俺だと俺以外の者は知らないからな」
一瞬目を丸くして、佐助はクツクツと笑い出す。訝しげな視線を投げかければ目尻に浮かんだ涙を拭いながら「やっぱり可愛い」と言った。
「そんな事しなくても、俺はアンタのものだよ」
聞こえる声は、子守唄のように穏やかで。つ、と右手が頬を滑る。ごつごつとした男らしい掌の感触が気持ちよくて、瞼を閉じた。熱が意識をふわふわと浮かせ、温かい繭の中に包まっているようだ。内部に入ったまま、じくじくと浸透する熱は、もう既に己の一部で。頬から手が滑り落ち身体じゅうを愛撫する冷たい掌にさえ熱を感じた身体は、ゆっくりゆっくりと高みへと上り詰めてゆく。
「好き、愛してる、なんて一時的な感情じゃない。俺の声、目、手足、身体、心、全部幸村が作った」
「 ― 俺の全てはあんただけのものだ、幸村 ― 」
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